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第85回 暮らしの教室レポ

暮らしの教室 「ケムリのはなし。」レポ

 
 
 報告が遅くなってしまいましたが、第85回 暮らしの教室特別教室 「ケムリのはなし。」が68日に行われました。ケムリデザインさんとはいったい何者なのか?どういう活動をされているのか、あまりにも灯台下暗しから始まった今回の講演会でした。
 

ケムリデザインさんとは、小田原を拠点に湘南エリアで活躍されている、ご夫婦のデザインユニットですが、小田原で「nico cafe」というカフェも営まれているおふたり。奥様(和田 真帆さん)がニコカフェさん、旦那様(和田 義之さん)がケムリさん、おふたりでカミイチさん(小田原で毎月開かれるマーケット)というポジショニングと考えても良いそうです。
そんなお二人のお仕事の仕方を振り返った今回。okebaとしましても、大変お世話になっているお二人ですから、どうやって現在のおふたりになったのか?というお話しは終始興味が尽きないものでした。

旦那さまの義之さんは、もともと立体系の芸術家だそうです。上野の公募展で入選もされています。結構巨大なスケールで作品を造っていらしたようです。エンターテイメント性のある作品ですね。かとおもいきや、公園で苔を採取している姿の写真も出て来て、何事にも、ミクロにもマクロにも興味が尽きない、という感覚の方のようです。

奥様の真帆さんは、もともとステンドグラスのデザイナーさんでした。奥様も芸術家で、ゴミで造った作品などもあったようです。

お二人の共通点は繊細な仕事をこなしつつ、大胆な視点をお持ちになっている…。というところでしょうか。いずれにしても、マルチなお二人です。

そんな多才なおふたりですが、ご自身に付けたラベルが、「おそるべきド素人」。
一体これはどういうことかというと、今までのお仕事が完全に独学でされてきたからだそうです。順番もあべこべで、既成概念から生まれる仕事のプロセスを踏んでこなかったようです。「経験を自分たちでつくりだしていく」というやり方は、たとえば東京ディズニーシーのアトラクションの作り方を直に聞きにいったり、山の中で猿と共に制作したり、ちょっと普通の感覚では体験できない過程を経ています。

おふたりのお仕事は、常にリノベーションですので、1からモノ作りをするというよりは、元々あるものから情報、歴史を引き出し、その場所にとって魅力のあるものへと変えていく、けれどそのもののもつ存在感や思い出は残す、元の状態に近づける、そのためにどうデザインしていくか。とうことなので、もともと普通のデザインのように、順序だった道筋ではないものなのかもしれません。
 

例えば、小田原にある「グットモーニング」さん。初めはモノトーンというご依頼だったそうですが、造っていくうえでカラフルに変更。そこは街の様子や元の状態、何をこの空間で演出するのか、を考えてのことのようですが、結果的にそこに関わる全ての人が納得するような仕上がりになっています。

他にも様々な例を挙げて、如何にそこの空間を生かすか、演出するのか、ということを見ていったのですが、たとえ依頼された仕上がりと違っても、結果としてその空間がその場所に生きるデザインになっていれば、依頼主を説得することすら、デザインをすることだとおっしゃっていました。
 
 
老舗のタバコ屋「藤木屋」さん。お洒落にという百貨店からの要望を説得。「雑然としているのが藤木屋さん。」見事藤木屋さんの持ち味を百貨店内に実現。

 
家族全員の意見が違う、酒屋さん。違う意見を纏める苦労が
あったが、それすら空間に活かす。

 
別の用途に使われていた建具を食器棚としてリノベ。カッコイイから使いたい。そんな想いが使われなくなったものも生き生きと蘇らせる

 また、「いい意味でのハプニングが生まれたら計画を変える」、「悪条件を克服する」「中に入ったら別世界にする」など、その言葉からお仕事に対するベース、モットーがだんだんと見えてくるようでした。
一見大胆で自由に見える仕事でも、あくまでリノベ。原寸とのズレがないように、細かい分析、打ち合わせによって成り立つ世界です。ここはミクロにみる才が発揮されているようです。
 
 
建具を並べてデータ化する。あるものは使う。細かい分析作業が古いモノを活かす仕事に繋がる。
並べている状態もデザインのように綺麗
 
 
そんなミクロとマクロの仕事ができる才能あるおふたりを熊澤社長は見逃しませんでした。お二人にお仕事をおまかせし続け23年。お店の照明器具デザインすることから始まったおふたりの仕事は、天青、酒蔵全体へと拡大していきます。
 
移築のときの写真
 
「建築できる?」という社長の言葉に「できる。」と得体の知れない自信から言ってしまったと義之さんがお話しされます。こだわりをもつ社長の、しかも明治から続く老舗の酒蔵の一大改革の一端を担うお仕事。これまでされてきたお仕事が丁寧かつ斬新だったからこそ、「得体の知れない自信」が沸き起こったのかもしれません。しかも、お二人のお話しの中で社長が出てくる出てくる…。(写真にも出てくる)完成のイメージを共有するために、参考の物件を一緒に見に行ったり(九州とか)、器具にかける費用をゼロをモットーに、古道具を捨てずに使い、社長自らあちこちから拾ってきたり…。(熊澤でもともとあったものももちろん使っています)
依頼主と密接に関わりながら、妥協することなく、模索してきたケムリさんのお仕事が、今も熊澤酒造を支え続けています。
 
在りし日の熊澤酒造。多分上にいるのが社長。

古い建具も全部使います。

あちこちから古道具を集める社長

あらゆる現場に社長がおります。
 
ひとつひとつの建物や建具のデザインに社長や、それを汲み取ってくださったケムリさんの想いや歴史が詰まっておりますので、熊澤酒造を訪ねていらしたらご覧いただきたいところです。
 
 
若かりし(!)社長とケムリさん。

okebaはどういうふうにできたのでしょうか?okebaはもともと「桶場」。桶を修理する場所でした。古い建物ですが、柱や梁が金属のトラス状にめぐらされ、ケムリさんはこのトラスの構造体が見せ場だということで、壁との色分けを試みました。そのアイデアが功を奏し、実際okebaの魅力として、訪れる方の多くが「素敵な空間」と言ってくださっています。okebaのロゴマークにもなっています。(ロゴマークなどグラフィックは奥様のデザイン)是非訪れた際はご一望ください。
 
 
 一体そのデザイン感覚や分析力などのエネルギーはどこから生まれてくるのか?

お二人のコンセプトは「楽しいことがすき!」。


デザインのアイデアは楽しいことをみんなと共有したいという想いから生まれてくるということでした。

そんなおふたりのお話しは終始楽しく、笑いが絶えない会となりました。

 


 
恒例の3つの質問ですが、
ターニングポイントはいつ?
こちらはスーパーマンのような人たちに出逢ったこと、とおっしゃっていました。でもすかさず旦那様の義之さんが、「妻に出逢ったこと」と仰っていて、おふたりのラブラブ感が半端ないことでございました。
お二人にとって幸せのモノサシとは?
こちらは奥様がすかさず「お客さまに『美味しかった』とニコッと笑ってもらえること。」と答えていらっしゃいました。お客様の笑顔よって幸せになれる、そんな素敵な関係を小田原で築かれておられるおふたりらしい答えでした。
将来どんな社会になっていてほしいですか?
大がかりなことは考えられないと言われ、楽しいことをやっていたら結果的に小田原が楽しくなった、みんな楽しくなった、という感じがいいということでした。
老人になっても楽しいほうがいい、楽しい場所を作ってあげたい、と仰っていました。
最後に、夜8時閉店のババアのバー(Ber)を作りたいと奥様が仰って、大笑いのうちに幕が閉じたのでした。
 
 
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村石(え)