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ギャラリートーク「籠と箒のいまとこれから」レポ☆

 

吉田慎司さん(中津帚)と、関田徹也さん(竹籠)のトークショーが、9月17日(日)、okeba gallery&shopにて、現在開催中の「籠屋と箒屋」(9月16日~30日)の展示に合わせて開催されました。

okebaのギャラリートークは、小さなお話会というスタンスで、毎回だいたい10名ほどの規模での開催でしたが、今回は20人ほどのお申込があり、とても関心が高いテーマなのだと実感しました。
 
 
お二人は、「聞いていただいている方たちにどんなことが聞きたいのかを伺いながら話していきたい」と仰っていて、大きな枠組みの流れの中で、参加者の方たちにいろいろと聞いてみたり、関心のあることを確認したりしながらお話してくださいました。
 
まずは、箒と籠の簡単な歴史や道具としての細かい説明から、お二人がなぜ箒や籠づくりを始めたのかというお話でした。
 
吉田さんは、大学卒業後、ワークショップで中津帚の柳川直子社長と出会い、中津帚さんに共感し、そのまま就職。  
 
 
関田さんは、なんと13歳から籠づくりを始め、様々な職人さんを訪ねていたそうです。 
20代の間は働きながら技術の習得を続け、30歳を過ぎてから、本格的に制作を始められたのだそうです。
 
お二人に共通していたのは、やはり、「失われてゆく技術を残してゆきたい」という思い。
 
今、お二人の師匠と呼べるような方たちは、亡くなってしまった方もいれば、あとどれだけ仕事を続けていけるかというご高齢の方たちばかりだそうです。
関田さんは、今は、ここ数年で技術を教えて下さる方たちからどれだけのことを学べるのかの、とても大事な時期だと仰っていました。


また、関田さんの籠にしても、吉田さんの中津箒にしても、大変な技術と手間をかけて作られたということが、改めてお話の中でわかります。

中津箒さんは、材料のホウキモロコシを自社栽培で行い、吉田さんを始めとする数名の職人さんで1つ1つ手づくりしています。また、職人さんによって、機能面以外のちょっとしたデザインが違うのですが、吉田さんの箒の場合、糸を吉田さんが藍やイチイで染めたもので、その部分も。1つ1つ手で作られた天然素材のものになります。

 
 
 
関田さんの籠も、材料の竹を、ご自分で11月から冬至までの間に山に入って切り出し、それを山から運び出して、その材料が1年分の籠の材料となるのだそうです。
時期が過ぎた竹は虫が入ってしまう可能性があるので材料として使えないため、限られた時間の中で、限られた材料で籠は生まれるのです。

 
日本の伝統的な箒や籠は、かつては日本中に溢れていたものですが、現在はとても稀少になっており、作り手は勿論のこと、国産の材料すら確保が難しい状況です。
良質な箒や籠と、文化を残そうと活動を行うお二人が、その熱い思いを失わず活躍してくれることを多くの人が望んでいるのではないかと思います。
 
 
 
 
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profile

関田徹也
1983年生まれ。東京で育つ。
小学生のころから手仕事に興味を持ち、13才から竹籠を作り始める。
正式な弟子入りはせず、東京、埼玉、茨城等の竹籠職人を訪ね技術を習得。
2014年から本格的に活動を開始。
籠の製作と同時に現在も各地の職人を訪ね多様な技術の記録と習得そして活用の道を探っている。
 
吉田慎司

1984年生まれ。東京で育つ。
2007年、武蔵野美術大学彫刻学科卒業。
民俗資料室での縁から、中津箒の手ほどきを受ける。
まちづくり山上入社。全国で展覧会、ワークショップなどを中心に発表しています。札幌在住。
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staff村石(わ)