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暮らしの教室 伊藤恵さん講演レポ

~照明デザイナー伊藤恵の光の足跡~

「灯から見えるヨーロッパと日本の暮らし」トークショー レポ

 
2月16日(土)mokichi wurst cafeにて照明デザイナー伊藤恵さんの講演会が開催されました。
伊藤さんは熊澤社長の奥様の幼馴染のお友達だそう。照明マニア(?)の社長としては、照明デザイナーと外国で第一人者として活躍されてる方なので、興味深々です。
伊藤さんは幼少期は日本の鎌倉で過ごされるのですが、ドイツ生まれながらドイツ語が出来ないのが嫌で、ドイツ語圏のウィーンに91年から渡欧されました。高校の時は絵を描いていたが、御自分でおっしゃられるには自分は絵が下手だったので何によって自己を表現するか迷っていたそうです。建築家のお父様の勧めでウイーンの美術大学に入学されましたが、語学ができなくてさぼり気味だったと、今のお忙しい生活からは垣間見えないおおらかな一面もあけすけにお話しくださいました。そんな時に、まだ在学中にシルクスクリーンでランプを作られ、着物の生地やパターンを使った日本というオーストリアにはなじみのない国の文化を取り入れた表現をしたところ、たくさん売れるようになり、今ではウイーンで大活躍の照明デザイナーになられたということでした。
 
 
 
 
伊藤さんの作品を順繰りにみせていただいたのですが、日本をあからさまに主張した作品というわけではなく、ラブレターや竹、カーテンの紐など、身近で、でもまさか照明に使うとは思いもよらないものや、斬新な使い方をされたり、どこかエキセントリックな魅力があるのだと感じました。アーティスティックで奇抜だから受け入れられているのかというとそうではなく、伊藤さんは光の当たり方を性別やそこにあつまる人種、性格、用途など様々な方面から観察して、考察してそこが一番善く見えるように、最善の方法を考えた結果がこのようなデザインになっている、
ということが伝わってきます。ただ奇抜なアートではなく、そこに居る人に寄り添っているから、とても身近に感じるし、長くそこにあって欲しいと感じる。それが、伊藤さんの照明の最大の魅力なのではないか、と感じました。
 
 
「そこに居る人がどういう人なのか、生活スタイルや性格などからアイデアを出します。」
 
「自分の作品はクラシックでもありたいし、モダンでもありたい。性格がそうだから作品もそうなるのかもしれない。長いスパンで使うものだから責任がある。半永久的なものをつくりたい」
 

 
 
と話す伊藤さん。長い時間軸でみた作品をつくるという心構えも感じました。そういったものは現代アートのような一過性のスピード感を感じさせるものとは違い、安心感もあり、それは生活の道具としては欠かせない有り方のような気もしました。
 
こちらはブルグ劇場という老舗の劇場にあるバーの照明。どの席でも光がまんべんなく当たるように横長に設計された照明。斬新だが老舗の雰囲気を損なわない、細部に気配りの届いた灯りです。
 
そんな伊藤さんも有名になっていくにつれ大きな仕事を任されるようになります。
なんと、ザッハトルテで有名なザッハホテルでのお仕事も任されます。
 
 
ザッハホテルは1876年創業の140年の歴史を持つ老舗中の老舗。それを日本人である伊藤さんに任されるというのは大変名誉であるとともに大きな責任が伴います。この時の苦労を想いだしたのか、泪ながらに語っておられました。
ともあれ老舗の有名ホテルの照明を手掛けたとあって、伊藤さんの照明デザイナーの地位は確立されたわけです。
 
 
ザッハホテルでの2回目の仕事の話になった時に、照明は建築と切ってもきれないという話題がでました。日本では電気工事→工事→照明取り付けという順番行うのですが、これだと照明を取り付けた時点で気に入らない部分があっても変更が効きません。伊藤さんはアーキテクトとの関係をとても大事にしていますが、ウィーンでは相談しながら、変更しながら作業ができると言います。その辺りの日本とウイーンの照明に関する重要度の違いは、照明デザイナーの重要性を認識している工事の進め方や、先ほど出た「半永久的なものを」という価値観の違いなどにも現れているようです。ウイーンでは、1600年頃から残っている家など当たり前で、長く使うという感覚が浸透しているが、「日本は地震があるからかしら?あまりそういう感覚が無いみたい。どうですか?」と逆に質問されていました。
 
 
確かに自然現象によって長く続かない、という感覚が身に染みているかもしれませんが、一見合理性を追求したように見えて、単に利益しか考えないような薄っぺらいもの創りの在り方が日本をそのような国と認識されてしまうのは残念なので、見習いたいところだと感じました。只、実際地震に関してはなかなか半永久的にとはいかないと思うので、日本独自のアーキテクトの在り方もあるのだろうと、とても勉強になりました。ご自分の目指す作品の在り方と、欧州の持つ価値観がマッチしているという環境なども伊藤さんにとって追い風になったのかもしれません。子育てをしながらの照明デザイナーの地位の確立は大変な苦労が想像できますが、ウイーンと日本では働き方などの違いがあるのか、そのあたりも聞きたいところでしたが、今回は惜しくも時間切れと相なってしまいました。欧州は近年注目も高まってはいるものの、お互いまだまだ遠い国同士であるように思います。そんな遠い国で日本人女性が活躍しているかと思うと、それだけでウイーンが身近な国になった気がします。お互いの文化の真ん中にいる伊藤さんの活躍を今後も期待していきたいと思ったところで講演会も終わりに近づきます。さて、恒例の3つの質問です。
 
  • 人生のターニングポイントはいつですか?
  • 自分にとっての幸せのモノサシは何ですか?
  • 将来こうなったらいいなという社会の在り方は?
     

まず一つ目のターニングポイントは、高校の時に絵を描いていた時に自分の可能性を見つけてくれた人が何人かいた、と語っておられました。やはり可能性を潰すのではなく、見つけてもらえるのは大きな励みになるのですね。その時は分からなくても、可能性を持ち続けたひとは花が咲くチャンスを捨てていないということかもしれません。
二つ目の幸せのモノサシは「子どもと一緒にいること」とおっしゃっていました。お子様はなにものにも代えがたい宝物のような存在なのですね。
三つ目将来、未来についてですが、これは暮らしの教室開催以来のビッグスケール。欧州にいると、結局争いの種は宗教。宗教で戦争が起こるそうです。日本のように、宗教も多種多様で共存している国もあるのだから、そこの価値観の違いから争う必要はないと伝えたいそうです。
ウィーンは周囲を国に囲まれている国なので、ある意味海に囲まれた日本とは真逆の環境と言えるかもしれません。そういった違いを発見できることは楽しいことかもしれませんが、一歩間違えると見解の相違で戦争が起こってしまう、緊張感のある生活でもあるのかもしれません。伊藤さんだからこそ言える、世界規模での平和への想いです。

 
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伊藤 (Mihels )(照明デザイナー、インテリアコンサルタント

https://www.ito-megumi.comProfile
ドイツ、シュトゥットガルト生まれ 

スイスに移住。 小さい時から高校卒業まで鎌倉で育つ。 1991年にウィーン応用美術大学でテキスタイル ファッションを学ぶ為に留学。1997年からスタン ドランプを作ったのがきっかけで照明デザインの世界に入り、今現在ウィーンの名門ホテルザッハー をはじめとしたホテルやレストラン、カフェ、オフィスなどやプライベートの家の照明も手掛ける。 一つ一つがその場所にあったユニークな一点ものばかり。 優しく自己主張しすぎないそれでいて存在感のある、周りと調和の取れている照明作りを目指 してきた。
NHK
ニュース JALの雑誌 ジャパンタイムズなどにも取り上げられている。 
 
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村石(え)